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日記をさぼっていたのは、毎日が幸せすぎて書くことがなかったからだ。
ひとの幸せ話なんて誰が読んでも楽しくない。少なくとも、わたしは楽しくない。
新居を見つけて、引越しをし、新しい家具で家を飾り、毎日ごはんを作ってふたりで晩酌をする。当たり前に穏やかで、とりたてて書くこともない日々。

先週末は、初めて新居にお客さんが来てくれた。わたしの十数年来の友人だ。
お互いのことは隅々まで知り尽くしている、唯一無二の親友。
たくさんごちそうを作って、お酒を準備して、部屋中ぴかぴかにして出迎えた。
ひさしぶりに会った友人は、すこし痩せ、髪を切ったばかりとのことで、きれいになっていた。彼女は奈良の地酒を手土産にくれた。わたしも夫も酒好きと知っているからだ。
夫と彼女は、初めて会うにも関わらず、すぐ打ち解けた。
お互い漫画やゲームが好きなものだから、知識のないわたしをほったらかしにして、話が盛り上がり、わたしはふくれっつらをしてみせながら、その光景をとても嬉しく眺めていた。
わたしの大好きで大切なツートップが、仲良くしてくれるのだから、嬉しいに決まっている。
多く作りすぎたかもと心配していた料理は、大半を彼女がたいらげてくれた。

持ってきてくれた地酒とワインとウィスキーとビールで酔っ払い、その勢いでカラオケにいった。夜の街を、わたしを真ん中にして3人で手をつないで歩いた。
タンバリンで手にあざを作りながら、歌い、踊った。最後には喉も枯れた。
こんなに盛り上がったカラオケはいつぶりだろう。まだまだわたしたちも若いねと言い合いながら帰った。

つかれ果てたわたしたちは、順番にお風呂に入って、すぐ床に入った。
わたしと彼女は布団を敷いた和室、夫は寝室へ。
女ふたりは、修学旅行みたい、とはしゃぎながら枕を並べた。
とにかくその日はとてもとても楽しくて、そしてひどく疲れていて、布団に入った瞬間から、わたしはすぐにうとうとしだした。
半分眠りの世界に足をつっこみながら、彼女と他愛ない話をした。
結婚したら家計はお小遣い制にすべきか、完全折半制にすべきか、とかそんなこと。
彼女も来月に結婚を控えているのだ。彼女にベタぼれの優しい優しいフランス人と、4年越しの愛を実らせるのだ。
話をしながら、いつのまにかわたしは眠っていた。

翌朝、彼女はうちで朝ごはんを食べ、「彼氏がさみしがるから」と早々に帰っていった。
もっとゆっくりしていってと夫が引きとめたけれど、「楽しかった、ありがとう」と首を振って身支度を始めた。

駅へはわたしが送っていった。マンションからは徒歩で4分ほどの距離。
歩きながら、彼女はなんども「あみが幸せそうで安心した。よかった」と繰り返した。
「あんたも幸せでしょうが。入籍したら連絡してね。4人でお祝いしよう」
わたしはそういって彼女を見送った。
別れ際に軽く抱き合う。中学時代から変わらないふたりの習慣。ふわっと柔らかい肉の感触が腕に伝わる。
「またね」
改札へ続く階段を降りる彼女に手を振る。わずか10数段の段を降り終えるまでに、彼女は3回振り返って、わたしに手を振った。

ここ数ヶ月の幸福な毎日の中でも、とりわけ充実して、楽しい二日間だった。

さて、ここで問題です。

どの瞬間でしょう。

わたしは、どの瞬間に戻れば、彼女を失わずに済んだのでしょう。

彼女は、わたしの大好きな大好きな親友は、この日から3日後に、死にました。

木曜日の朝一に、彼女の母親から、わたしの携帯にメールが入った。会社に着いたばかりだった。
「至急連絡したいことがある。電話をください」
深呼吸をして、携帯を閉じる。とりあえず、今日必ずやらなければならないことだけを手早くこなしてから、廊下に出て、電話をかけた。

その瞬間から、ぜんぶ変わった。
ぜんぶ、なにもかも、変わった。

体のすみずみが悲しさとつらさと悔しさと苦しさでみっちりと埋め尽くされている。
悲しくて悲しくて悲しくて悲しくてつらくてつらくてつらくてつらくて苦しくて苦しくて苦しくて、それしかない。
こんなに、こんなに、悲しいことがこの世の中にはあるのか。
いままで感じた悲しさをぜんぶ集めても、きっとこんなに悲しくはない。
悲しい悲しい悲しい悲しい悲しいつらいつらいつらいつらいつらい、苦しい苦しい苦しい。
ずっとそう叫んでいなければ耐えられない。耐えられない。もう無理だ。ああああああ。
そんなことないってわかってるけど、世界中で、いまわたしが一番悲しい。
そんなふうに臆面なく言いきれるくらい、どうしようもなく悲しい。ああ、こんなに悲しいことがこの世のなかにはあるのか。ああ。あああああ。悲しい。苦しい。

彼女から来た最後のメールには、訪問のお礼と「あみが幸せで安心した」、そして文末に「アディオス!」と書かれていた。手を振る絵文字付き。

おかしいと思ったのに。
アディオスってなんだよ。今生の別れ的なニュアンスじゃん。
なに言ってんの。
おかしいと思ったのに。
おかしいと思ったのに、わたしは電話もせずに、普通のメールを返した。
また遊ぼうね、って能天気に。

ああ、正解はこの瞬間なのかもしれない。
この瞬間に、違和感をそのままにせずに、きちんと問い詰めてさえいれば。

わたしはもう小説を書かない。
つい最近まで、死を扱った小説を書いていたのだ。
でも、わかってしまった。
そんなもん嘘っぱちだ。
こんなに悲しいことを、こんなにつらくて苦しいことを、言葉にするなんてわたしには到底できない。
苦しい苦しい苦しいと阿呆みたいに繰り返すしかできないんだから。
いま書いているのは文章なんかじゃない。
声を出すわけにはいかないから、ただ文字を垂れ流してるだけだ。
でもそうしないことには、壊れてしまうのだ。
もう小説なんか書けない。

昨夜は眠れなかった。
目を覚ましては、泣き叫んで、頭をかきむしって、もだえていた。
抱きしめてくれようとする夫の腕を振り切って、うーうーと意味のない音を吐きながら、泣き続けた。
ずっとそんなことを繰り返しているうちに、夜が明けた。
障子越しに空が明るむのを見て、心の底から絶望した。
わたしは、あとどれくらいこんな朝を迎えなければならないのだろう。

わたしこそ、死にたい。
こんな苦しい思いをするくらいなら、死んだ方がましだ。
でも、わたしはぜったいに死なない。
こんな苦しい思いを、夫には、友人には、家族には、ぜったいにさせない。
ぜったいに。

彼女と結婚を間近に控えていたフランス人の恋人が昨日つぶやいた。
「彼女は僕のすべてだった。これから、どうしたらいいか、わからない」

どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
ほんとにねえどうしたら。

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コメント

親友の方が亡くなられたとのこと。
謹んでお悔やみ申し上げます。

人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。
世界はどうして悲しみに満ちているのでしょう。
彼女のことを思うと、どうしようもなく苦しくなると思います。
それでも私たちは生きなければなりません。
どうか自分を責めないでくださいね。


私は宗教を持ちませんが、
旧約聖書 『伝道の書』より、抜粋します。

ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。

わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、
これもまた風を捕えるようなものであると悟った。


返信不要です。

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