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2011年6月

ただ待つだけ

※前回の日記は感情のままに書きなぐったものだったのですが、辺境ブログとはいえ公の場に長く置いておくものでもないかなと思ったので削除しました。
 コメントをいただいた方、本当にありがとうございます。いつも温かい言葉をいただき、救われています。今回いただいたコメントも何度も読み返しました。本当に理解するには、時間がかかりそうです。

 もう普通に生活なんかできない。ごはんを食べたり、笑ったり、会社に行ったりなんかできない。先週までは本気でそう思っていた。
 けれど、あの日から10日が過ぎたいま、わたしは相変わらず普通に生きている。少なくとも表面上は。
 人間はたくましいし、したたかだ。あきれるほどに。
 わたしの体は、わたしの命を存続させるために、空腹を訴え、睡眠をとらせ、自転車をこがせて会社に向かわせる。

 気を抜いたらすぐさま胸の中に流れ込んでくる苦しさが、不思議なことに仕事をしている間だけは薄れる。だから、ここ10日間は昼休みもおにぎりを片手にパソコンに向かっている。意識の向ける先を、A4サイズの画面内に必死で収めて、キーボードを叩いたり、マウスを動かしたりして時間をつぶす。おかげで毎日定時に退社できている。

 逆に、苦しさが溢れてたまらないのが、自転車での通勤時間だ。ペダルをひと漕ぎするたびに、後悔、悲しみ、記憶の断片が重く背中に圧し掛かる。自転車なんて放り出して、その場に座り込んでしまいたくなる。やっとのことで会社にたどり着いたわたしの顔は、きっとひどいものだろう。

 先週、今月いっぱいで会社をやめる後輩と、送別会代わりに呑んだ。残業続きのうえ、どうしても思うようにいかない仕事にほとほと疲れたらしい。周りの人々は口々に「もったいない」と後輩を諭した。せっかくここまでやってきたんだし、この時代簡単に再就職なんかできないよ、と。

「でも、もう決めたんです」

 きっぱりと答える後輩の言葉に、わたしは全力で頷いた。

 疲れたのならしょうがない。少し休憩して、また働きたくなったら働けばいいよ。仕事なんてやめたっていい。苦しい思いをして、体を壊してまでやらなくたっていい。いつだって、やり直せるんだから。 

「死ぬより、よっぽどマシだ」

 この言葉は言わずに、飲み込んだ。

 代わりに、「海外でもふらっと放浪してきたら?」と冗談めかして言うと、後輩は「それいいっすねえ」と笑った。それはもう、すがすがしい顔で。

 先週末は、家に例のフランス人が来てくれた。

 夫と一緒に食事の準備をして迎えた。彼は野菜も魚も嫌いなので、鶏の赤ワイン煮とじゃがいものグラタンとパンとチーズと生ハムという炭水化物とたんぱく質だらけのメニュー。彼の好きなウォッカも用意した。きっとろくに食事をとっていないだろう彼に、すこしでもたくさん食べて欲しかったのだ。

 案の定、彼はこの10日で4kg痩せたと言った。たしかに顔がひとまわり小さくなっている。わたしはなにも答えられず、ただテーブルにたくさんの料理を並べた。

 食事をしながら、彼はたくさん喋った。彼女と出会ったときのこと。彼女の好きだったこと。彼女と一緒に食べたもの。彼女と一緒に行った場所。ほとんど間を空けず、彼は「彼女」を語り続けた。体の中にみっちりとつまった記憶が、口を通して次々にあふれ出してくるようだった。

 相槌を打ちながら、わたしたちはそれを聞いた。

 幸福としか言いようのないクリスマスの出来事を聞いたとき、ついに夫が泣き出した。わたしも、こらえきれずに嗚咽した。どうしてこんなことに。やりきれない思いが胸につかえて、それを吐き出すために、声を出して泣いた。

 彼は、泣かなかった。

 涙を流すわたしたちの横で、なおも彼女のことを語り続けた。彼は、唇に笑みを浮かべていた。幸福だった日々の中にまだいるような、穏やかな笑みだった。それでも、彼の顔は、どうしようもなく悲しかった。わたしはそれを見て、さらに泣いた。

 彼女が死んでから、わたしはずっとわたしのために泣いていた。彼女を失ったわたしの苦しさ、つらさのために泣いていた。けれど、このとき初めて、自分以外の誰かのことを思って泣いたのだった。言い方は悪いけれど、彼の悲しみに「同情」して涙する自分がいた。

 そうすると、不思議なことに、すこし悲しみの質が変化した気がした。どうしてだろう。彼女の死が、ほんのちょっと、遠いものになった。現実的で客観的で画一的なものに、一歩近づいたように感じた。

 こんなふうに、わたしは彼女の死からだんだん離れていくのだろうか。自分の苦しみから逃れていくのだろうか。それは許されないずるいことのようにも、安心することのようにも思えた。

 彼は、10日前彼女がそうしたのと同じように、駅で何度も振り返り、手を振りながら帰っていった。

 10日間でわかったのは、わたしにはなにもできない、ということだけだ。

 彼のためや、彼女のご両親に対してはもちろん、自分の感情のあり方すら操ることができない。不安定に揺れるまま、ただ待つだけ。時間をやり過ごすだけ。彼女の冥福を祈ることもできない。生前の気持ちを推し量ることもできない。記憶を思い出に変えることもできない。彼女の分まで幸せに生きよう、なんてとても思えない。ただ、待つだけ。死ぬときがくるまで。

 

 

 

 

_

日記をさぼっていたのは、毎日が幸せすぎて書くことがなかったからだ。
ひとの幸せ話なんて誰が読んでも楽しくない。少なくとも、わたしは楽しくない。
新居を見つけて、引越しをし、新しい家具で家を飾り、毎日ごはんを作ってふたりで晩酌をする。当たり前に穏やかで、とりたてて書くこともない日々。

先週末は、初めて新居にお客さんが来てくれた。わたしの十数年来の友人だ。
お互いのことは隅々まで知り尽くしている、唯一無二の親友。
たくさんごちそうを作って、お酒を準備して、部屋中ぴかぴかにして出迎えた。
ひさしぶりに会った友人は、すこし痩せ、髪を切ったばかりとのことで、きれいになっていた。彼女は奈良の地酒を手土産にくれた。わたしも夫も酒好きと知っているからだ。
夫と彼女は、初めて会うにも関わらず、すぐ打ち解けた。
お互い漫画やゲームが好きなものだから、知識のないわたしをほったらかしにして、話が盛り上がり、わたしはふくれっつらをしてみせながら、その光景をとても嬉しく眺めていた。
わたしの大好きで大切なツートップが、仲良くしてくれるのだから、嬉しいに決まっている。
多く作りすぎたかもと心配していた料理は、大半を彼女がたいらげてくれた。

持ってきてくれた地酒とワインとウィスキーとビールで酔っ払い、その勢いでカラオケにいった。夜の街を、わたしを真ん中にして3人で手をつないで歩いた。
タンバリンで手にあざを作りながら、歌い、踊った。最後には喉も枯れた。
こんなに盛り上がったカラオケはいつぶりだろう。まだまだわたしたちも若いねと言い合いながら帰った。

つかれ果てたわたしたちは、順番にお風呂に入って、すぐ床に入った。
わたしと彼女は布団を敷いた和室、夫は寝室へ。
女ふたりは、修学旅行みたい、とはしゃぎながら枕を並べた。
とにかくその日はとてもとても楽しくて、そしてひどく疲れていて、布団に入った瞬間から、わたしはすぐにうとうとしだした。
半分眠りの世界に足をつっこみながら、彼女と他愛ない話をした。
結婚したら家計はお小遣い制にすべきか、完全折半制にすべきか、とかそんなこと。
彼女も来月に結婚を控えているのだ。彼女にベタぼれの優しい優しいフランス人と、4年越しの愛を実らせるのだ。
話をしながら、いつのまにかわたしは眠っていた。

翌朝、彼女はうちで朝ごはんを食べ、「彼氏がさみしがるから」と早々に帰っていった。
もっとゆっくりしていってと夫が引きとめたけれど、「楽しかった、ありがとう」と首を振って身支度を始めた。

駅へはわたしが送っていった。マンションからは徒歩で4分ほどの距離。
歩きながら、彼女はなんども「あみが幸せそうで安心した。よかった」と繰り返した。
「あんたも幸せでしょうが。入籍したら連絡してね。4人でお祝いしよう」
わたしはそういって彼女を見送った。
別れ際に軽く抱き合う。中学時代から変わらないふたりの習慣。ふわっと柔らかい肉の感触が腕に伝わる。
「またね」
改札へ続く階段を降りる彼女に手を振る。わずか10数段の段を降り終えるまでに、彼女は3回振り返って、わたしに手を振った。

ここ数ヶ月の幸福な毎日の中でも、とりわけ充実して、楽しい二日間だった。

さて、ここで問題です。

どの瞬間でしょう。

わたしは、どの瞬間に戻れば、彼女を失わずに済んだのでしょう。

彼女は、わたしの大好きな大好きな親友は、この日から3日後に、死にました。

木曜日の朝一に、彼女の母親から、わたしの携帯にメールが入った。会社に着いたばかりだった。
「至急連絡したいことがある。電話をください」
深呼吸をして、携帯を閉じる。とりあえず、今日必ずやらなければならないことだけを手早くこなしてから、廊下に出て、電話をかけた。

その瞬間から、ぜんぶ変わった。
ぜんぶ、なにもかも、変わった。

体のすみずみが悲しさとつらさと悔しさと苦しさでみっちりと埋め尽くされている。
悲しくて悲しくて悲しくて悲しくてつらくてつらくてつらくてつらくて苦しくて苦しくて苦しくて、それしかない。
こんなに、こんなに、悲しいことがこの世の中にはあるのか。
いままで感じた悲しさをぜんぶ集めても、きっとこんなに悲しくはない。
悲しい悲しい悲しい悲しい悲しいつらいつらいつらいつらいつらい、苦しい苦しい苦しい。
ずっとそう叫んでいなければ耐えられない。耐えられない。もう無理だ。ああああああ。
そんなことないってわかってるけど、世界中で、いまわたしが一番悲しい。
そんなふうに臆面なく言いきれるくらい、どうしようもなく悲しい。ああ、こんなに悲しいことがこの世のなかにはあるのか。ああ。あああああ。悲しい。苦しい。

彼女から来た最後のメールには、訪問のお礼と「あみが幸せで安心した」、そして文末に「アディオス!」と書かれていた。手を振る絵文字付き。

おかしいと思ったのに。
アディオスってなんだよ。今生の別れ的なニュアンスじゃん。
なに言ってんの。
おかしいと思ったのに。
おかしいと思ったのに、わたしは電話もせずに、普通のメールを返した。
また遊ぼうね、って能天気に。

ああ、正解はこの瞬間なのかもしれない。
この瞬間に、違和感をそのままにせずに、きちんと問い詰めてさえいれば。

わたしはもう小説を書かない。
つい最近まで、死を扱った小説を書いていたのだ。
でも、わかってしまった。
そんなもん嘘っぱちだ。
こんなに悲しいことを、こんなにつらくて苦しいことを、言葉にするなんてわたしには到底できない。
苦しい苦しい苦しいと阿呆みたいに繰り返すしかできないんだから。
いま書いているのは文章なんかじゃない。
声を出すわけにはいかないから、ただ文字を垂れ流してるだけだ。
でもそうしないことには、壊れてしまうのだ。
もう小説なんか書けない。

昨夜は眠れなかった。
目を覚ましては、泣き叫んで、頭をかきむしって、もだえていた。
抱きしめてくれようとする夫の腕を振り切って、うーうーと意味のない音を吐きながら、泣き続けた。
ずっとそんなことを繰り返しているうちに、夜が明けた。
障子越しに空が明るむのを見て、心の底から絶望した。
わたしは、あとどれくらいこんな朝を迎えなければならないのだろう。

わたしこそ、死にたい。
こんな苦しい思いをするくらいなら、死んだ方がましだ。
でも、わたしはぜったいに死なない。
こんな苦しい思いを、夫には、友人には、家族には、ぜったいにさせない。
ぜったいに。

彼女と結婚を間近に控えていたフランス人の恋人が昨日つぶやいた。
「彼女は僕のすべてだった。これから、どうしたらいいか、わからない」

どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
ほんとにねえどうしたら。

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