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無力。(追記しました)

 昔から「虐待」ということばに異常に反応してしまう自分がいる。

 自分自身、虐待を受けて育った事実はないし、周囲の人間にそういった過去を持つ人がいたわけでもない。

 けれど、ニュースで児童虐待を扱ったものを目にすると、不思議なほどこころがかき乱され、いたたまれない気持ちになる。

 この感情は焦りに近い。まったく見知らぬ範囲で起きた出来事であるのに、己がそれになにひとつ対処できなかったことに、たとえようのない無力さを感じて、つくづく自己嫌悪に陥る。

 大学時代、心理学を専攻していた。

 私の研究室の担当ではなかったが、虐待の研究をする西澤哲さんという助教授がいた。

 研究ということばからは、客観的かつ俯瞰的に事象を見つめるさまを連想するが、彼は実際に虐待が起こる現場に身を起き、自身を投げ打って取り組みを行う臨床家であったと記憶している。

 いま「自身を投げ打って」と書いたが、まさにそうなのだ。授業の中で、彼が事実体験した悲惨な出来事を幾度も耳にした。身体中になまなましい傷を持つ痩せ細った少年。その少年を隔離施設から取り戻すために、職員に刃を向ける両親。西澤さん自身も一度、激情した親から電車の迫り来る駅のホームに突き落とされたことがあるそうだ。

 当時の私は、ただただその凄まじさに怯えた。自らの子を痛めつけなくてはいられない親の狂気に震え、その暴力になすすべなくいたぶられる幼子の痛みに胸が掻き毟られた。なぜこんなに理不尽なことが起こりうるのだろうと、自分が生きている世界にすら絶望を感じた。

 けれど、そうするだけで、私はなにもしなかった。児童支援施設を志すこともなく、カウンセラーへの道を選ぶでもなく、のうのうと自分にとって心地よい人生を歩んでいくことに腐心した。西澤さんの著作は読み漁ったけれど、ただそれだけだ。あくまで私は「興味」や「知識」として虐待を受け入れただけだった。

 今日また、yahoo!のニュースで痛ましい事件を知った。

 父親が0歳の長男の頭部を水道の蛇口にぶつけるなどの暴行を加え、くも膜下出血を起こさせたというものだ。父親は「育て方が分からず、意味もなく泣くのでイライラしてやった」と証言しているらしい。

 例のごとく、私のこころはひどく落ち込んだ。言いようのない憂鬱さが喉をせり上がった。けれど、私のこの感情は、やはり他人事なのだろうと思う。もう起きてしまった惨事に、後追いで偽善的な同情を重ねているだけ。その証拠に、きっと数日後の私はこのニュースを忘れるのだろう。そして、また新たな事件が発覚した時に、ごく一時的な悲しみを覚えるのだろう。

 身勝手な報道や、それに言及する安易なコメンテーターに反感を持っても、私はそれにすら劣るのだ。私のちっぽけな感情はいま誰にも届かないのだから。自分自身ですら継続することができないのだから。

 私には、なにも語ることばがない。語る資格もない。その無力さが、そしてそれでもなにか感じずにはいれない不遜さが、とても憎たらしい。

 けれど、私がこのたぐいの感情を持ってしまうことは、どうしようもない事実だ。いつまでも、過ぎ去った惨事にこころを揺すぶられてしまう自分が続くのだと思う。

 私ができることはなんなんだろう。実際的なことはなにひとつできないのはわかっている。

 私にできるのは、「おもう」ことだけだ。痛みつけられた子どもの辛苦を、痛めつけずにはいられない親の歪みを、歪みのもとにつながる感情の深淵を。

 そんなことは、誰の救いにもならない。「おもいつづける」ことしかできないなんて、私はなんと無力で愚かしいのか。

 だけど、私は自分の無力さや愚かさを受け入れなければならない。上っ面の事象を知った顔で語ることだけはどうしても避けねばなるまい。

 おもうことしかできないのならば、とことんおもおう。

 自らのふがいなさを、卑小さを、とことん感じよう。

 ともなうもどかしさや苦しみを身に刻みながら。

***

 追記。

 確かに、自分の中にも憎しみの芽はあるなあ。それは常に感じている。

 電車の中で赤ん坊が泣き喚いたら、反射的にうるさいなと思う。口を押さえにいきたいとすら感じてしまう。その子に罪なんひとつもないのにね。

 虐待する親なんか「お前が死ね」と思うのに、私にだって根っこには彼らと同じ憎しみの温床が確かにある。それを表出させるかどうかの原因は、それこそ様々あるのだろう。

 私は今のところ子どもを持つつもりはない。我が子から得られる幸福は代えがたいものであるということも、友人の話なんかから感じるけれど、それ以上に、こわいのだ。 

 子どもがいるということによる責任、その責任をわずらわしさに感じてしまうこと、そしてわずらわしさが卑劣な暴力に変わる可能性があること。

 こわいこわいと逃げまわるしかない私は、やっぱり無力な臆病者です。

 

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