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2010年3月

朝、マクドナルドで。

 朝、めずらしく時間があったので、マクドナルドでコーヒーを飲んだ。
 まだ7時過ぎだというのに、店内は人で溢れかえっていた。かろうじて空いていた隅のテーブルに席を取り、pomeraの電源を入れる。
 右隣では出勤前のサラリーマンが日経新聞を読み、左隣ではオール明けらしい学生の一群が物憂げに会話をしている。
 大きなバッグをひざに抱え、眠たげな目であたりを見渡す私は、周囲からどのように見られているのだろう。
 ふとそんなことを思ったけれど、きっと私の姿なんて誰の目にも映ってはいないのだと、自分自身で答えを見つけた。置き忘れられたビニール傘や紙くずであふれるゴミ箱に、誰も注意を払わないのと同じように。私だけじゃない。ここにいる人々は皆そうだ。互いが互いにとっての風景として存在する空間。
 油くさい空気ととめどないざわめきの中で、誰かの風景となった私は薄いコーヒーをすする。心許なさと奇妙な開放感を抱えながら。
 
 いつのまにか、前の席にひとりの老婆が腰掛けていた。
 体中まんべんなく埃をかぶったようなくすんだ色合いの服装をし、足元には大きな紙袋が二つ。髪は薄く地肌が見え、歯は残っている本数の方が少なそうだ。少々みすぼらしいというほかは、特に不審でもない彼女の様子になぜか目が留まった。暇に飽かし、ぼんやりと眺めることにする。
 老婆が、大きな口を開けてバーガーにかぶりつく。口元に豪快にパンくずをつけたまま一心不乱にかぶりつく。貧相なバーガーは、歯のないせいで暗い空洞に見える口の中に吸い込まれ、ものの数分で包み紙だけになった。バーガーを片付けたあとは、ポテトに手をつけ、こちらもすさまじい速さで咀嚼していく。枯れた容貌にそぐわない勢いに圧倒され、私は彼女から目を離せなかった。
 あっというまに食物がなくなったトレイの上に、老婆は週刊誌を広げた。足元の大きな紙袋をごそごそと漁って取り出したものだ。物を咀嚼したのと同じような力強さで、一枚一枚ページを繰ってゆく。
 ふと、あるページで彼女の手が止まった。ぎょろりとした目でじっと誌面を睨め付けている。まるでそこから宝のありかを見つけてやろうとでもいうような執拗さを感じる。

(なにをそんなに真剣に見ているんだろう。)

 興味を覚えた私は、伸びをするふりをして、彼女の手元を覗き込んだ。そして、そのまま固まってしまった。

 老婆が見ていたのは、ヌードグラビアだった。若いおんなが惜しげもなく乳を放り出している姿が見開きいっぱいに広がっていた。

(老婆がヌード、老婆がヌード、老婆がヌード、老婆がヌード……)

 うまくリンクしない二つの単語が頭のなかにこだまする。あっけにとられたまま伸ばした手をのろのろと下げる。無意識にすすったコーヒーは味がしなかった。
 そんな私にまったく気をとめず、老婆は見終えた週刊誌を紙袋に戻し、席を立った。大きな荷物をかけた両手に器用にトレイを載せ、悠然と出口に向かう。口元には最後までパンくずが貼り付いたままだった。

 朝一からファーストフードとおんなの裸を体内に取り込む老婆。それもものすごい勢いで。不思議なものに遇ってしまった。
 彼女はただの風景ではなかった。少なくとも私にとっては。そして、私はやっぱり単なる風景でしかなかった。きっと誰にとっても。

 自分でも理由のわからない溜息をついて、私はマクドナルドをあとにした。

***
 pomeraの使いごこちは良好です。キーボードも打ちやすいし、起動も早い。なにより白と黒のコントラストが、私の愛するパンダのようでなんともかわいらしい。名前は暫定的に「ポメ太」にしました。愛称は「ポメたん」です。

***
 ひさびさにNHKラジオのぷちぷちケータイ短歌に投稿してみた。
 テーマ「焦」
 歌人・加藤治郎さんに選んでいただけたようです。
http://www.nhk.or.jp/shibuz-blog/100/40691.html

***
 そういや今日は弟の誕生日だ。君が何歳になったかまったく思い出せない薄情なお姉ちゃんを許してね。あと、プレゼントも忘れてたふりをしますが悪しからず。

衝動買い

ずっと欲しかった『pomera 買っちゃった。

Pomera_2

amazonでポチっとな。

最近衝動買いが多いなあ。ストレスたまってんのかしら。

まあでもお金は遣うときは遣わにゃね。

これで、電車の中でもベッドの上でも文章が書けます。書きます。

胃の調子が悪いので昼食を取らずに更新

 叶姉妹に恋愛相談に乗ってもらっていた。
 美香さんは「そうよね、そうよね」と優しく相槌を打ってくれ、恭子さんは「あら、そんな男はだめよ」などと厳しくも暖かい助言をくれた。
 話が一段落し、叶家の自家用ヘリで家まで送っていただくことになった。恭子さん自らが操縦するヘリが大阪の上空に飛び立った。
 
 轟音で会話ができないので、なにげなく外を見ていると、とあるビルの屋上に青い服を着た長身の男性が立っていた。
(なんだか嫌な予感がするな。)
 そう思った瞬間、案の定彼はひょいと柵を飛び越え、空に向かってダイブした。青い影が空気に線を引き、地面にまでつながってゆく。
 聞こえるはずのない、どすんという落下音が耳に響いた気がして、私は小さな悲鳴を上げた。横を見ると、美香さんも悲壮な顔で下を凝視している。
「落ちたわね……。救急車を呼んだほうがいいのかしら」
 恭子さんが動揺を隠しきれない声でつぶやく。「そ、そうですね……」高鳴る心臓を服の上からさすりながら私が答える。
 震える手を無線に伸ばした瞬間、機体に大きな振動が走った。
「操縦がきかない……!!!」
 操縦桿を前後左右に揺さぶりながら、恭子さんが金切り声をあげる。「おねえさま……!」美香さんの悲鳴がそれに重なる。
「もう無理だわ!」
 恭子さんが操縦桿から手を離した。制御を完全に失った機体は、真っ逆さまにビルの合間に吸い込まれていった。
 私が最後に見たのは、美香さんの豊満な胸に引き伸ばされたTシャツの「turn up!」というピンクのロゴだった……。 

***
 今朝方見た夢です。妙に臨場感があって起きた瞬間から胸がドキドキしてました。しかしなぜに叶姉妹……(笑)
 どなたか夢診断をよろしくお願いします。

***
 三連休はのんびりまったりわいわいと楽しく過ごしました。私が日記を更新しないということは、日常が充実してるということです。リア充ってやつです。
 
 最終日は、作家の角田光代さんといしいしんじさんの対談形式のワークショップに出向いた。

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 「ことばの使い方特別編―対談―男と女の小説作法」角田光代×いしいしんじ
 http://www.shin-bi.jp/modules/wordpress2/index.php?p=230
 ――考え方やコミュニケーションなど、男性と女性とでは、あらゆるところに違いが見られるのは、日々の生活で感じるところ。小説においてはどうだろう?たとえば、登場人物が男か女で物語は変化し、また書き手によってもその影響は大きい。今回は小説における男と女それぞれの表現を探ります。
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 とのことだったのだが、作風から見られる通り角田さんもいしいさんもあまり性別に依った描き方をされていないのもあって、テーマとはすこし外れた内容だった。各々の小説観とか、最近読んだおもしろい小説とか。いしいさんはとても感覚的でユニークな天才肌の印象。角田さんはあいかわらず語り口が可愛らしくて独特で素敵だった。
 以下話されてた内容の備忘録。メモったわけではないのでうろ覚え。

・小説とは、現実であるところの「私」と登場人物であるところの「私」の中間の視点によって書かれるもの。現実の私とけっしてイコールであってはいけないけれど、まったくの「フィクション=にせもの」であってもいけない。
・小説とは「時間」をつくること。現実に流れる時間とは別の時間軸が小説の中には存在している。小説を書いているときは、その時間軸の中を生きている。そして読書という行為もまた、その時間に入り込むということ。書くことと読むことは「小説」という鏡を通して、同じ時間を共有すること。
・小説の出来は切実さに左右される。まったく理解できない性癖であっても、そこに切実さが伴えば「おっさんが若い女にふまれる」という行為にも感動できる。
・結局小説を読んでいつまでも心に残っているのは、鮮烈な「場面」「絵」。あらすじとかキャラクターの魅力は関係ないのかもしれない。そう思うと書くのが怖くなるなあ。
・「驚かせよう」とか「泣かせよう」とか狙うのじゃなくて、「そうなっちゃった」ってのが本当。

 人それぞれ小説に感じることや書く際の作法はあるのだろうけれど、実際にプロとして10年以上活躍している作家の生の考えを聞けたのは興味深かった。超初心者の私には実感としてつかみきれないことも多かったが、だからこそ私なりのそういうのを体感するために、とにかく書いていかなきゃなあと思った。

***
 今週はあと4日で仕事終了。忙しくて早くも心折れそうだけれど、未来に楽しみがあればなんとか頑張れるもんだ。

朝からなんとなく更新

 なんだか憂鬱な気分の朝。頭がぼんやりして、体がだるい。オンナノコの日(笑)だからかな。
 化粧をするのがとんでもなく面倒で、すっぴんで出勤してやろうかと一瞬思ったけど、「なんですっぴんなの?」とつっこまれる面倒くささの方が勝ったから、仕方なく五分で済ませる。メイクは決して嫌いではないのだけど、義務感が伴うと途端にわずらわしいものになる。まあなにごともそうですね。
 そういえば会社の同僚に、毎朝出勤の二時間前に起きて、頭からつま先までばっちり決めてくる人がいる。ふわふわのロングヘアは毎日違うアレンジがなされているし、服装も私基準で言えば常に「コンパ仕様」だ。おっさんばかりのフロアの中で、いつも彼女の周りだけぴかぴか輝いて見える。
 以前「毎日きちんとしててすごいなあ」と言ったら、「別に頑張ってないんだけどね。小さい頃からお母さんに“いつも身綺麗にしておきなさい”って言われてたから」とにっこり微笑まれた。うへえ。やはり美は一朝一夕で作られるものではないんだなあ……。しかも彼女は、五年間付き合った元彼に、一度たりとも素顔を見せたことがないんだって。うへえ。私なんて恋人はおろか世界中にすっぴん晒すこともままあるのに……。
 あまりの女子力の差に、阿呆面で驚くしかなかったのでした。


 今日一日やり過ごしたら、三連休。なんだか今週は長かった。休日はのんびりまったり過ごして、生きるためのちからを貯め込みます。

ミラクルで奇跡みたいな恋

失ったものに感傷的になってます。そんな気持ちを詠いたくて。

ため息を聞かせることで主張する 私は愛を君は終わりを

最後までカッコをつけるカッコ悪いあなたを最後まで好きでした

ぼろぼろの惨めな姿見せつけた 同情だけでもして欲しかった

YouTube横目で観ながらキスをしたことは一生許さないから

新しいメガネに気付いてやれるのは私だけしかいないのになあ

スカートの短さに目くじら立てる面倒くささも愛おしかった

会わなけりゃよかったですかそうですか、ごめん私は会えてよかった

四度目の最後の抱擁 今度こそ最後にします最後にしなきゃ

傷つけた?傷つけられた?違う違う 愛し合っていただけなんです


ミラクルで奇跡みたいなミラクルで奇跡みたいな恋だったのに


最後の歌は自作ではなく、昔読んでこころ動かされたもの。
いま読んでまた、涙が出る。

ストレスフルライフ

私が苦手とする部類の人間の特徴。


・女子の友達同士で遊びに行くことを「デート」と云う。(鳥肌が立つ。)

・生理のことを「オンナノコの日」と云う。(虫唾が走る。)

・なんの必要にかられてか「キャー」とか「やだー」といった奇声をとつぜん発する。(心臓に悪い。)

・「ガールズトークしよう☆」とか「女子会開こうよ♪」とやたら誘ってくる。(いやもう面倒くさいから。その前に、あなたはもうガールでも女子でもないから。)

・いわゆるオカマの人を「キモーい」と批判する。(そんなことを云うお前がキモい。)

・会話の中で毎度「最近彼氏とはどう?」と聞いてくる。(うまくいってようがいまいが、お前には関係ない。)


残念なことに、全部あてはまる人がすぐ側にいるんだなあ……。

でも一番キモいのは、それらを卑屈な笑みでやり過ごしている自分です。

どうしようもないこと

どうしようもないことってあるよな。
どんなに頑張っても取り返しのつかないこと。

わかっているつもりだったのに、見て見ぬふりをしてしまっていた。もしかしたら元通りにできるかもしれない、なんていう甘い考えでいた。

でもそれは、傷つくのを先延ばしにしていただけだった。
前に進むためには、その傷をきちんと味わう必要があったのに。

実際に痛みに触れてから、ようやくそれに気付く私は、なんて愚かなんだろう。

落ち着きとはまだ無縁でよいです

 昨晩さんざん痛飲したわりには、清々しい気分で目覚めた。……はずが、ベッドでぼけっとしているうちに、宴席での記憶がするする蘇ってきて、ひとり赤面する。
 ああ、またやっちまった。私ってなんでこう酔っ払うといらぬことをベラベラ喋ってしまうんだろう……。聞かれてもいない恋人の話や、アドバイスと称した面倒くさい説教もどきを後輩にまくし立てた気がする。ああもう恥ずかしい。恥ずかしさで死ねる。いっそ死のう。死因:恥死 とか、いかにも私にふさわしいじゃないか。

 なんていう馬鹿なことを言ってても仕方ないので、昼風呂に入ることにした。
 明るいうちからお湯に浸かりながら本を読むのは、最も愛する休日の過ごし方。汗と一緒に自己嫌悪も流れてしまえと願ったけど、のぼせただけでした。まあでも少しは気が晴れた。

 冷えた白ワインを舐めながら、これを書いてます。酒の失敗を酒で慰める、この不毛なループ。これだから二十七歳にしておっちゃんに同類扱いされるのだわ。
 でもちょっといい気分になってきた。頭の芯がじんわり滲んでゆくこの感覚が大好きだ。こういう心地よさだけをずっと味わってられたらいいのにね。すぐに人恋しさとか切なさとかに変化するからやっかいだね。

 ああこんなぼやきを吐いてる場合じゃない。今日は十数年来の親友と久しぶりにごはんにいくから、そろそろ準備にかからねば。煙草を一本吸ったら化粧をしよう。のっぺり顔を外面モードに整えなきゃね。

 変化のない日常が退屈だ嫌だとか嘯いてるけれど、長風呂入って、気の置けない友と酒を飲むというなんてことない一日が身の丈に合った幸福なのかもしれないと思ったりもする。
 相変わらず、焦りと納得を繰り返しながら生きています。
 まあでも立ち止まってないだけいいか。こころの動きを止めたら、私は終わりだ。
 まだまだ終わるわけにはいかないのだ。

救われたくなんてないけどね

 酔っ払ってまーす。酔っ払ってると人恋しくなるよね。誰かに触りたくて、ぬくもりに包まれたくてたまんなくなる。
 だからって、誰でもいいと思わないのがやっかいだなあ。
 恋しいひとが頭に浮かんで、そのひとに触れられないのがまた淋しさを助長して、ああいたたまれない。切なさ満開。
 好きです好きです好きです。あなた以外はいりません。
 けれど、言ったそばから、それが誰に宛てたものかわからなくなる私は、救いようのない人間なんだろうね。ああ生きていたくない。

透明になりゆく日々

 気がついたらフロアに独りきりだった。
 そうか、今日はノー残業デーだ。必死になって企画書を書いてるうちに他の社員は皆帰ってしまったようだ。
――あーつかれた。
 誰もいないのを良いことに、声に出してつぶやいてみた。言った途端、体中にじわじわと疲労が広がるのがわかる。急に地球の重力が増したように感じて、体が椅子に沈みこんだ。
 まとわりつく疲労をはねつけるため、あーつかれたつかれたつかれた、と一気に口に出してみる。めいっぱい伸びをしながら言葉を発すると、すこしだけ心が浮上する気がした。よし、やけくそだ、歌ってやれ。でたらめな節をつけて声を上げる。つっかれたつっかれたつっかれたよう。
 静まり返ったフロアに間の抜けた声が響いた。そして、また静寂。
 なんだかむなしくなって、パソコンを閉じて会社を出た。

 今日も大阪は寒い。雨の後の湿った空気が、私の息で白く染まる。
 いつものバーで呑んで帰ろうかな。倦怠感を酔いで紛らわしたくなったけれど、よく考えたら明日から三日連続で呑み会だ。昨日の酒もしぶとく残ってる気がする。ちっぽけな自制が働いて、まっすぐ電車に乗ることにした。
 i-podのイヤフォンを耳につっこみ歩き出す。柔らかい女性ボーカルの声が流れはじめると、周りの景色がたちまち現実味を失った。足早に歩くサラリーマンもコンビニの光も、そして私自身も、彼女のPVのための小道具に変わってゆく感覚を味わう。
 作りものの世界に逃げ込んで、私は私の疲労をやりすごす。

 毎日さ。毎日こうやって、変わり映えのしない一日を送って、疲れを体に染み込ませてさ、そんな風に生きてると、自分がだんだん透明になってゆく気がする。ぺらぺらに引き伸ばされて、空気に溶け込んで、そのまま消えてしまうような気持ちになる。誰の記憶にも残らないまま、ひっそりと。
 そして、その想いはいつも私をひどく心もとない気分にさせる。寒々しい空白が、容赦なくこころに沈殿してゆくのを感じ、身震いがする。

 だから、せめて、ことばを残したい。そう思って文章を書いている。圧倒的な「無」を追い払うためにいま私が持つすべは、それしかないのだ。

 私が消えても、きっと世界はなにも変わらない。けれど、私はそこに爪をたてるのを諦められない。傷を残そうとするあがきをやめられない。たとえそれが、わかるかわからないかというくらいの薄っすらとした模様だとしても。
 いつか透明になって消えゆく私のこころに、どうかその一筋が残りますようにと祈りながら。  

方向音痴

 最近運動不足がたたりすぎて体重が恐ろしい数値になっているので、会社帰りに最寄り駅から一駅分歩くことを一念発起する。
 出張明けの激務を終え、疲れた体を引きずり歩きはじめて数十分。

 ……道に迷った……orz

 気がついたら、周りはラブホテル街。仲睦まじく腕を組むカップルの中で呆然とひとり立ち尽くす私。
 今更気づいた。そうだ、私とてつもない方向音痴なんだった……。
 さらに疲労が増した足で、すごすごと来た道を引き返す、哀しすぎる月曜日。


 自分のふがいなさがやりきれないので、電車の中で音楽を聴きながらブログ更新してます。電車なう。とか言っとけば流行に乗れてる感じ?
 ツイッター登録して一年以上経つけど、まだ一言もつぶやいたことないや。今更どのタイミングで口火を切ればいいかわかんない。でもいろんな人のフォローはしてます。好きな作家さんとか芸人さんのつぶやきを読むのは楽しい。まったく別々のルートで好きになった人同士がやりとりしてるのを発見したりすると大いに興奮する。何気ない日常を垣間見てる感じがして妙にドキドキする。
 一日に何度も舐めるようにツイートをなぞる私は、紛うことなきストーカー気質なんでしょう。


 あー小説が書きたいなあ。
 毎日なにかしら文章を紡いではいるけれど、書けば書くほど、自分の文章がただの自己満足な駄文になってゆく気がして、指が固まってしまう。
 あー小説ってなに? なんなのさ? 教えてえらいひと!
 考えれば考えるほど深みにはまって道を見失ってしまいます。

 やっぱり私、とてつもない方向音痴みたいだ。
 でもすごすご引き返したりしないもん。この道だけは。

泣きたい

 なんだか今ものすごく泣きたいのだけれど、なぜそんな気持ちになるのかがわからなくて途方に暮れている。
 誰かが胸の奥をぐいぐい押して「さあ泣け」と、得体のしれない感情をおしあげているようだ。
 悲しくはない。苦しくもせつなくもない。ただただ泣きたいのです。涙を垂れ流したいのです。
 けれど今は電車の中で、周りには見知らぬ人間がたっぷりいて、そんな状況で泣き喚くことはできないのだという理性が、喉にストップをかけている。せせこましい自制心に邪魔されて、私の欲求はいまにもはちきれそうだ。

 仕方ないから、「泣きたい」を違うことばに変換して飲み込もうという試みを繰り返している。

 死にたい眠りたい会いたい愛したい壊したい壊れたい。

……だめだ。なんにもあてはまらない。
 抑え込もうとすればするほど、型にはめようとすればするほど、純度を増した「泣きたい」が胸に迫る。鼻の奥をくすぐって、なんとか外に出ようともがいている。

 泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい……。

 私は、一体なにを涙に変えて押し出したいのだろう。
 わからない。わからないけれど、それが私に必要のない澱であることは確かだ。
 自らに不要なものを必死になって探っている。あれか、それか、それともこれか。
 
 そうするうちに、そのどれもがいらないものに思えて、私は愕然とする。手の中には、必要なものなどなんにも存在しないことを悟ってしまう。

 いつのまにか、あれほど強く感じた「泣きたい」は消えていた。

 私の中には、垂れ流すものなどはじめからなかったのだった。

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