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30

8月9日で30歳になりました。
わたしがもう30だなんて……。
信じられない。世の中は不思議なことだらけです。

今朝、旅行先のチェコから帰ってきました。
彼の国はビールがあまりにもおいしすぎて、その余韻を引きずっております。
今日は刺身で日本酒を飲んだけどね。
(やっぱり日本のごはんとお酒が一番おいしい)

明日からものんびりした日が続けばいいなー。
C12_2


雨だけど、傘はささない

 久々に更新しようかな。

 最近はfacebookばっかりいじって、ブログはずいぶん長い間放置している。
 facebookでのやり取りは、ブログに比べて気楽で楽しい。思いついたことをちゃちゃっと更新して、友人のつぶやきや画像に「イイネ」を押して、それだけでなんとなくコミュニケーションが取れた気がして、画面を閉じる。遠くにいる友の近況も知ることができるし、日々の備忘録代わりにもなる。便利なものだ。
 けれどたまにふらっとブログを更新したくなるのは、SNSではどこか物足らなく思う自分がいるからだろう。
 私がこのブログに書き付けるのは、ネガティブな出来事や感情であることが多い。心のなかに溜めておいたら、腐って異臭がするような、ぐじゃぐじゃしたもの。それを、ひとつひとつ文字に打ち込むうちに、少し気持ちが落ち着く。決して、ぐじゃぐじゃしたものがなくなるわけではないけれど、いくらか湿気が乾くような気がするのだ。
 もちろん、私は、ネガティブなだけの毎日を送っているわけではない。リアルで私を知っている人は、きっと私を「明るい性格だ」と言うだろう。普段は、自分でもそうだと思う。
 そんな自分に疲れたときに、このブログを思い出す。私のぐじゃぐじゃを知っている、ほんの少しの人たちだけに、なげやりな愚痴を聞いてもらいたくなるのだ。いい迷惑だろうに、たまに耳を傾けにきてくれる人たちには、とても感謝している。


 さて近況でも。といっても、とりたてて書くこともないなー。
 最近の私の毎日は、高め安定で推移しています。要するに、平和で穏やかな日々です。

 今日の大阪は雨。
 天気予報では、大雨になる恐れが……と言っていたけれど、小雨が降ったり止んだりの、静かな空でした。
 そうそう、前々から思ってたのですが、大阪人ってほんと傘をささない。今朝も、ぽとぽとと頭皮に刺激があるくらいは雨が降っていたのに、街を歩く六割ほどは傘をささずにずんずん歩いていた。不思議なのは、彼らがきちんと手に傘を持っていること。その手の傘は、じゃあいったいいつ使うのかと。大阪人は、雨に対抗心でもあるのでしょうか? こんくらいの降りやったら俺はまだささへんぞ、みたいな。
 奈良人の私は、いつもそんなことを思いながら、あわててビニール傘を開くのでした。

 よし、今後の楽しみな予定を書いて、テンションをあげよう。(私の)

 今日帰ったら、会社でもらったサンプルの純米吟醸酒をきんと冷やして呑む。ホッケとともに。
 今度の海の日は、気の置けない友達が家に遊びにきてくれる。スピーチしてもらった結婚式のDVDを見てもらおう。
 八月は、新婚旅行でチェコに行く。ビールがおいしいらしいというだけで決めた渡航先だけど、それゆえ未知のものに出合えそうで楽しみ。
 帰ってきたあとは、大学時代の友人の結婚式がある。人気者の彼だから、たくさんの人に囲まれたにぎやかなパーティーになるだろう。

 平坦な毎日に、さまざまな出来事が、ぽつぽつと現れて、過ぎていく。
 嬉しいこと、楽しいこと、寂しいこと、悲しいこと、面白いこと、そのどれでもないこと、どれでもあること。
 すべてを、たとえば「雨が降った」と同じレベルで捉えられたら、私は楽になれるんだろうか。いや、どちらかといえば、私は「雨が降った」という単なる事実すら、マイナス感情に結び付けてうじうじしてしまう人間なんだろうなー。
 雨が降っても、傘なんてささなくて平気だ、てな人間になりたい。無理でしょうねー。だって私、奈良人だし。

 
 

戻ることはできない

 昨夜、会社で飲み会があって、帰ってきた早々ベッドに倒れこんだせいか、今朝は3時という中途半端な時間に目が覚めた。
 カーテンの隙間から見える窓の外はまだ暗くて、向かいのマンションの灯りがぼんやりと見えるだけ。喉が渇いたので、隣に寝ている夫を起こさないようキッチンに向かった。
 はと麦茶を飲み干して、流しでグラスをすすぐ。生ぬるい水の感触に、ああもうすっかり夏だなと思う。
 もう6月。今日でまる1年が経ったんだ。

 先週末の土曜日に、法要のため奈良に行った。久しぶりに着る黒いワンピースは、湿気を含んで皮膚にまとわりついた。電車に乗っている間、幾度か小さいため息をついた。重苦しい気持ちを少しでも外に吐き出すために。
 だだっ広い平城旧跡の真ん中を進む電車から見える景色を、高校生の私はとても愛していた。どこまでも広がる緑の芝を眺めていると、不思議と心が安らいでくるのだった。
 けれどその日、芝はただ曇り空に覆われて佇んでいるだけで、私に安らぎはくれなかった。

 駅について、家までの道を進む。学校帰りに何時間も立ち話をした噴水、じゃんけんをしておごりあったクレープ屋、社会人になってから吐くまで呑んだ居酒屋。このあたりには、記憶を呼び起こす風景が多すぎる。次々と浮かぶ思い出がのしかかり、だんだん足が重くなる。同じような家々が並ぶ住宅街は迷路のようで、これまで何十回と訪れたはずなのに、私はまた道に迷った。開始時間が近づくにつれ、焦りとはうらはらに、歩みは、狭く、遅くなった。


 あれから、1年経った。 
 けれど、いったいそれがなんだというのだろう。私の胸の中には、1日も途切れることなく、彼女がいて、あるときは幸福そうに笑っているし、あるときは泣き、あるときは私を詰る。
 これからも、ただそれが続いていくだけだ。1年経ってわかったのは、そのことだけだと実感する。
 もう涙はほとんど出ない。毎日は、いたって平和だ。彼女がいたときと同じように。
 けれど、私はすっかり変わってしまったのだと思う。 どうしたって、1年前に戻ることはできないのだから。


 

いつのまにか桜が咲いてた

 先週末、結婚式が終わった。
 入籍してから約10ヶ月。準備期間は山ほどあったはずなのに、結局直前でばたばたしてしまい、慌しく当日を迎えた。

 その日は、始終頭のなかにうっすらもやがかかっているようで、現実感がなかった。大切な人たちが入れ替わり立ち代り祝福の言葉をくれ、夫がずっと「幸せだ、楽しい」と笑っていた。
 私はそれらを聞きながら、たくさん笑い、たくさん泣いている自分自身を、どこか違うところから眺めているような気分だった。渦の中心に立ちながら、そこから最も離れた場所にいるような心もとなさを抱えながら。

 けれど、遠い場所から見るその風景は、とても美しく、穏やかだった。

Ring


 当日の天気予報はくもりだった。けれど、教会からガーデンに出た瞬間だけ、狙いすましたかのように陽がさした。

 花かごから次々に投げられる色とりどりの花びら。手を叩きながら笑うたくさんの人々の顔。
 光に照らされて白く輝くそれらは、遠い過去から取り出してきた幸福な記憶のようで、なぜかとても、懐かしかった。

 いつか私が死ぬとき頭に浮かぶのは、もしかしたらこの場面なのかもしれない、と思った。

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 なーんてぼんやりしているうちに、巷は桜が満開だったよ。

 今週末はお弁当を持って近所の公園へお花見に行こう。散りかけのまばらな桜を肴に、お酒を飲もう。

 

 あー、憂鬱な月曜日。

 私は、たぶん人に侮られやすいたちなんだと思う。きっとそれは、私の顔や態度や言葉から、卑屈さがにじみ出ているからなんだろう。なにを言われても、えへらえへら。誰に対しても、下手な媚を売っている。客観的に自分を見たら、きっとそのみにくさに、吐き気がするだろう。
 あーあ。誰とも関わらずに生きていけたらいいのに。それで平気な自分になれたらいいのに。

 体中に穴が空いている。皮膚を覆いつくすように、小さな穴が無数に空いている。一生懸命空気を吸い込んでも、それは温められる前に、穴を通して吹き出てしまう。いくら水を飲み下しても、それは吸収されずに、穴の淵を流れ出てしまう。寒々しい感触だけを残して。

 私の中は、いつもからっぽだ。

 

 

 

半年は長かったのか短かったのか

 ご無沙汰してます! 毎日、寒いですね。自転車で通勤していると、耳と頭と指が痛くなって困ります。全身が冷たい風にさらされて、ずきずきする。走っている間はあまり気にならないのに、会社に着いて暖房の効いたフロアに入ったとたん、思い出したように痛み出す体。あれはなんでなんでしょ。

 さて、近況などをぽつぽつと。


 先日、夫がクリスマスツリーを買ってきた。私の身長の半分ほどの、小さなツリー。家から自転車で15分ほど走った先にあるホームセンターで、ただでさえ安価なのに、さらに割引されて売られていたらしい。まだクリスマスまでは一週間以上あるのに。
 夕食を食べ終えて、ふたりでいそいそと飾り付けをした。サイズが小さいから、作業はほんの数分で終わった。出来上がったツリーを眺めて、夫と顔を見合わせた。付属の装飾品はいかにも安っぽく、てっぺんに星を飾ると、ほんの少しだが右に傾いて見える。
「なんか、しょぼくない?」
「確かに」
「でも、そのしょぼさが、なんか可愛い!」
「確かに!」
 値段相応のしょぼくれたツリーは、それでもリビングの一角をほんのり明るくした。それから毎日、視界に入るたび、夫とふたりで可愛いねと言い合っている。


 数日前、家に友人たちを呼んで、少しはやめのクリスマスパーティーをした。まあ、クリスマスを口実にした、ただ呑んだくれる会である。とはいうものの、件のツリーも客間に移動させ、いつもより手をかけて鶏を煮込んだりして迎えた。
 客人は、以前通っていた小説教室で出会った夫婦共通の友人である。カップル1組と独身男子1人。独身男子はいつも値の張る焼酎を手土産にかついで来てくれる。今回は甕雫。芋の割りにするすると呑みやすい危険なお酒。カップルは、スーパーでサーモンのたたきを仕入れてきてくれた。でかでかと半額シールが貼られているのを見て、思わず頬が緩む。若い彼らはまだ半分大学に足をつっこんでいて、派遣のバイトで食いつないでいるのだ。彼女の方が、「今日はユザワヤで6時間チェーンの長さを計ってきました」と笑う。前呑んだときは、朝から晩まで謎の肉を切る仕事をしたと言っていた。
 彼らと呑むのは、とても楽しい。よく食べるし、よく呑む。ビール6缶、ワイン1本、甕雫があっという間に空になる。酒を傾けながら、とめどなくしゃべって笑い転げる。大部分はどうでもよいこと。ちょこっとだけ小説の話も。
 独身男子が、来年の初夏に本を出版することになったそうだ。かねてから書いていた歴史小説が認められたのだ。初め新人賞に出して落選したのだが、どうしてもあきらめきれず、手直しして著作権エージェントに持込をしたとのこと。いまは編集氏から課された書き直しに四苦八苦しているそう。
 友人が小説家としてデビューするのは素直に嬉しい。彼の情熱と、それを形にするための緻密かつ粘り強い努力には、本当に頭が下がる。
 でも、なんとなく心がもやもやするのも事実。悔しい、とか、羨ましい、だったらまだいいのだ。でも、違う。悔しいとあんまり感じない自分に、なんだかなあと思うわけだ。6月以来、ほとんど小説らしきものを書いていない。書こうと思って、仕事の休み時間などにワードを立ち上げてみたりするけど、1枚分くらい書いては消し、書いては消しを繰り返してぜんぜん進まない。指が重くて、思考がいろんなものに邪魔されて、結局白紙のままワードを閉じる。誰か見えない人が、見えない糸で私の指を引っ張っているのか。耳元でいらぬことを囁いているのか。
 まあ、“見えない誰か”は、怠惰で言い訳がましい自分自身だとはわかっているのだけど。
 とりあえず「こんちくしょう、すぐに追い抜いてやるわ」と思えるまでは、じっとしていよう。その間に、いろいろな出来事を咀嚼して、消化して、蓄えて、心に分厚い膜を作らなくっちゃ。自分の感情に呑まれないように。酔わないように。
 結局、その日はべろべろに酔っ払ったまま、皆でカラオケにいった。夜中の寒い道を酒臭い息を吐きながら帰って、そのまま風呂にも入らず寝た。楽しかった。ちゃんとお腹の底から笑える日が、こうして当たり前にあります。それをまだ、不思議に思ったりもする。


 もうすぐ1年が終わる。1年が終わったからといって、日々は変わらなく続いていくのだけど、「区切る」ことはなかなかよい習慣だと思う。
 持ち続けることは大事だけど、持ちきれないものを手放すことも大事。新たに現れる持つべきもののために、手は空けておかねば。そのきっかけを作るための「区切り」。

 それでは、ちょっと早いけど、皆さんよいお年を!


 ちょっと宣伝。
 私も少しお手伝いをしたバーが大阪南船場にあります。細長い地下の店内は、壁一面に本が並んでいます。
 月に1度、「クリエーターズネスト」というイベントをやっており、作家さんや本作りに関わる方がゲストに来られます。
 前回12月は「怪談社」の怪談師、 紗那さんと紙舞さんが来られ、次回1月は作家のいしいしんじさんが登場とのこと。
 お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
 
 ◆文学バー リズール
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~liseur/index.html 

近況

ご無沙汰してます!
毎日暑いですね。ほんと暑い。
キッチンで料理をしていると汗がだらだら流れてたいへんです。
わたし自身が煮込まれてるみたいです。きっといい出汁出ています。
出涸らしの体ですが、今日も生きておりますよ。

あれからね、いろいろあって、今まで知らなかったことをたくさん知ってしまいました。その中には、知らなけりゃよかったってこともありました。
相変わらず毎日心のどこかが悲しいし、つらいし、腹立たしいし、うわーって叫びたい。でも、それ以外の部分では、楽しんだり喜んだりバカ笑いしたりしているのも事実で。
そんなすべてをひっくるめた日常を過ごしています。
幸か不幸か、わたしの体ごと日々は進んでいきます。

先週、29歳になりました。
姓が変わって、初めての誕生日。
夫が、カラスミでパスタを作ってくれて、近所のケーキ屋で可愛いケーキを買ってきてくれて、お祝いをしてくれました。ささやかだけど、幸せな時間でした。

28歳の後半は、本当に慌しい時間だった。
人生で一番嬉しいことができたと思ったら、そのすぐあとに、人生で一番つらいことがやってきた。
6月。
夏の気配が顔を見せる青い季節になるたび、わたしはその両方を思い出すんだろうなあ。
何十年経っても、きっと死ぬ間際にも。
どちらもわたしにとっては、忘れられない出来事です。忘れたくない出来事です。

近況。いまは、来年の4月に行う結婚式の準備をしています。
会場を決め、ドレスを選び、親しい友には日程の連絡を始めているところ。
彼女にも、出席してもらおうと思ってます。

……なんか久々に文章を書くと、うまく話がまとまらなくて、あっちゃこっちゃ筆が飛びますなあ。見苦しくてすいません。
でも、体のなかにあるものを言葉に変換するのは、やっぱりわたしには必要な気がしてます。

とりあえず、ここを見てくださってる希少なあなたに、わたしは生きていますという報告でした。
関西は、今日から明日にかけて、ひさしぶりの雨が降るそうです。それが止むと、気温がすこし下がるらしい。だんだん秋に近づいてるんですね。
涼しい季節がきたら、きっとすこしは、生きやすくなるでしょう。
では、皆さんご自愛を。

ただ待つだけ

※前回の日記は感情のままに書きなぐったものだったのですが、辺境ブログとはいえ公の場に長く置いておくものでもないかなと思ったので削除しました。
 コメントをいただいた方、本当にありがとうございます。いつも温かい言葉をいただき、救われています。今回いただいたコメントも何度も読み返しました。本当に理解するには、時間がかかりそうです。

 もう普通に生活なんかできない。ごはんを食べたり、笑ったり、会社に行ったりなんかできない。先週までは本気でそう思っていた。
 けれど、あの日から10日が過ぎたいま、わたしは相変わらず普通に生きている。少なくとも表面上は。
 人間はたくましいし、したたかだ。あきれるほどに。
 わたしの体は、わたしの命を存続させるために、空腹を訴え、睡眠をとらせ、自転車をこがせて会社に向かわせる。

 気を抜いたらすぐさま胸の中に流れ込んでくる苦しさが、不思議なことに仕事をしている間だけは薄れる。だから、ここ10日間は昼休みもおにぎりを片手にパソコンに向かっている。意識の向ける先を、A4サイズの画面内に必死で収めて、キーボードを叩いたり、マウスを動かしたりして時間をつぶす。おかげで毎日定時に退社できている。

 逆に、苦しさが溢れてたまらないのが、自転車での通勤時間だ。ペダルをひと漕ぎするたびに、後悔、悲しみ、記憶の断片が重く背中に圧し掛かる。自転車なんて放り出して、その場に座り込んでしまいたくなる。やっとのことで会社にたどり着いたわたしの顔は、きっとひどいものだろう。

 先週、今月いっぱいで会社をやめる後輩と、送別会代わりに呑んだ。残業続きのうえ、どうしても思うようにいかない仕事にほとほと疲れたらしい。周りの人々は口々に「もったいない」と後輩を諭した。せっかくここまでやってきたんだし、この時代簡単に再就職なんかできないよ、と。

「でも、もう決めたんです」

 きっぱりと答える後輩の言葉に、わたしは全力で頷いた。

 疲れたのならしょうがない。少し休憩して、また働きたくなったら働けばいいよ。仕事なんてやめたっていい。苦しい思いをして、体を壊してまでやらなくたっていい。いつだって、やり直せるんだから。 

「死ぬより、よっぽどマシだ」

 この言葉は言わずに、飲み込んだ。

 代わりに、「海外でもふらっと放浪してきたら?」と冗談めかして言うと、後輩は「それいいっすねえ」と笑った。それはもう、すがすがしい顔で。

 先週末は、家に例のフランス人が来てくれた。

 夫と一緒に食事の準備をして迎えた。彼は野菜も魚も嫌いなので、鶏の赤ワイン煮とじゃがいものグラタンとパンとチーズと生ハムという炭水化物とたんぱく質だらけのメニュー。彼の好きなウォッカも用意した。きっとろくに食事をとっていないだろう彼に、すこしでもたくさん食べて欲しかったのだ。

 案の定、彼はこの10日で4kg痩せたと言った。たしかに顔がひとまわり小さくなっている。わたしはなにも答えられず、ただテーブルにたくさんの料理を並べた。

 食事をしながら、彼はたくさん喋った。彼女と出会ったときのこと。彼女の好きだったこと。彼女と一緒に食べたもの。彼女と一緒に行った場所。ほとんど間を空けず、彼は「彼女」を語り続けた。体の中にみっちりとつまった記憶が、口を通して次々にあふれ出してくるようだった。

 相槌を打ちながら、わたしたちはそれを聞いた。

 幸福としか言いようのないクリスマスの出来事を聞いたとき、ついに夫が泣き出した。わたしも、こらえきれずに嗚咽した。どうしてこんなことに。やりきれない思いが胸につかえて、それを吐き出すために、声を出して泣いた。

 彼は、泣かなかった。

 涙を流すわたしたちの横で、なおも彼女のことを語り続けた。彼は、唇に笑みを浮かべていた。幸福だった日々の中にまだいるような、穏やかな笑みだった。それでも、彼の顔は、どうしようもなく悲しかった。わたしはそれを見て、さらに泣いた。

 彼女が死んでから、わたしはずっとわたしのために泣いていた。彼女を失ったわたしの苦しさ、つらさのために泣いていた。けれど、このとき初めて、自分以外の誰かのことを思って泣いたのだった。言い方は悪いけれど、彼の悲しみに「同情」して涙する自分がいた。

 そうすると、不思議なことに、すこし悲しみの質が変化した気がした。どうしてだろう。彼女の死が、ほんのちょっと、遠いものになった。現実的で客観的で画一的なものに、一歩近づいたように感じた。

 こんなふうに、わたしは彼女の死からだんだん離れていくのだろうか。自分の苦しみから逃れていくのだろうか。それは許されないずるいことのようにも、安心することのようにも思えた。

 彼は、10日前彼女がそうしたのと同じように、駅で何度も振り返り、手を振りながら帰っていった。

 10日間でわかったのは、わたしにはなにもできない、ということだけだ。

 彼のためや、彼女のご両親に対してはもちろん、自分の感情のあり方すら操ることができない。不安定に揺れるまま、ただ待つだけ。時間をやり過ごすだけ。彼女の冥福を祈ることもできない。生前の気持ちを推し量ることもできない。記憶を思い出に変えることもできない。彼女の分まで幸せに生きよう、なんてとても思えない。ただ、待つだけ。死ぬときがくるまで。

 

 

 

 

_

日記をさぼっていたのは、毎日が幸せすぎて書くことがなかったからだ。
ひとの幸せ話なんて誰が読んでも楽しくない。少なくとも、わたしは楽しくない。
新居を見つけて、引越しをし、新しい家具で家を飾り、毎日ごはんを作ってふたりで晩酌をする。当たり前に穏やかで、とりたてて書くこともない日々。

先週末は、初めて新居にお客さんが来てくれた。わたしの十数年来の友人だ。
お互いのことは隅々まで知り尽くしている、唯一無二の親友。
たくさんごちそうを作って、お酒を準備して、部屋中ぴかぴかにして出迎えた。
ひさしぶりに会った友人は、すこし痩せ、髪を切ったばかりとのことで、きれいになっていた。彼女は奈良の地酒を手土産にくれた。わたしも夫も酒好きと知っているからだ。
夫と彼女は、初めて会うにも関わらず、すぐ打ち解けた。
お互い漫画やゲームが好きなものだから、知識のないわたしをほったらかしにして、話が盛り上がり、わたしはふくれっつらをしてみせながら、その光景をとても嬉しく眺めていた。
わたしの大好きで大切なツートップが、仲良くしてくれるのだから、嬉しいに決まっている。
多く作りすぎたかもと心配していた料理は、大半を彼女がたいらげてくれた。

持ってきてくれた地酒とワインとウィスキーとビールで酔っ払い、その勢いでカラオケにいった。夜の街を、わたしを真ん中にして3人で手をつないで歩いた。
タンバリンで手にあざを作りながら、歌い、踊った。最後には喉も枯れた。
こんなに盛り上がったカラオケはいつぶりだろう。まだまだわたしたちも若いねと言い合いながら帰った。

つかれ果てたわたしたちは、順番にお風呂に入って、すぐ床に入った。
わたしと彼女は布団を敷いた和室、夫は寝室へ。
女ふたりは、修学旅行みたい、とはしゃぎながら枕を並べた。
とにかくその日はとてもとても楽しくて、そしてひどく疲れていて、布団に入った瞬間から、わたしはすぐにうとうとしだした。
半分眠りの世界に足をつっこみながら、彼女と他愛ない話をした。
結婚したら家計はお小遣い制にすべきか、完全折半制にすべきか、とかそんなこと。
彼女も来月に結婚を控えているのだ。彼女にベタぼれの優しい優しいフランス人と、4年越しの愛を実らせるのだ。
話をしながら、いつのまにかわたしは眠っていた。

翌朝、彼女はうちで朝ごはんを食べ、「彼氏がさみしがるから」と早々に帰っていった。
もっとゆっくりしていってと夫が引きとめたけれど、「楽しかった、ありがとう」と首を振って身支度を始めた。

駅へはわたしが送っていった。マンションからは徒歩で4分ほどの距離。
歩きながら、彼女はなんども「あみが幸せそうで安心した。よかった」と繰り返した。
「あんたも幸せでしょうが。入籍したら連絡してね。4人でお祝いしよう」
わたしはそういって彼女を見送った。
別れ際に軽く抱き合う。中学時代から変わらないふたりの習慣。ふわっと柔らかい肉の感触が腕に伝わる。
「またね」
改札へ続く階段を降りる彼女に手を振る。わずか10数段の段を降り終えるまでに、彼女は3回振り返って、わたしに手を振った。

ここ数ヶ月の幸福な毎日の中でも、とりわけ充実して、楽しい二日間だった。

さて、ここで問題です。

どの瞬間でしょう。

わたしは、どの瞬間に戻れば、彼女を失わずに済んだのでしょう。

彼女は、わたしの大好きな大好きな親友は、この日から3日後に、死にました。

木曜日の朝一に、彼女の母親から、わたしの携帯にメールが入った。会社に着いたばかりだった。
「至急連絡したいことがある。電話をください」
深呼吸をして、携帯を閉じる。とりあえず、今日必ずやらなければならないことだけを手早くこなしてから、廊下に出て、電話をかけた。

その瞬間から、ぜんぶ変わった。
ぜんぶ、なにもかも、変わった。

体のすみずみが悲しさとつらさと悔しさと苦しさでみっちりと埋め尽くされている。
悲しくて悲しくて悲しくて悲しくてつらくてつらくてつらくてつらくて苦しくて苦しくて苦しくて、それしかない。
こんなに、こんなに、悲しいことがこの世の中にはあるのか。
いままで感じた悲しさをぜんぶ集めても、きっとこんなに悲しくはない。
悲しい悲しい悲しい悲しい悲しいつらいつらいつらいつらいつらい、苦しい苦しい苦しい。
ずっとそう叫んでいなければ耐えられない。耐えられない。もう無理だ。ああああああ。
そんなことないってわかってるけど、世界中で、いまわたしが一番悲しい。
そんなふうに臆面なく言いきれるくらい、どうしようもなく悲しい。ああ、こんなに悲しいことがこの世のなかにはあるのか。ああ。あああああ。悲しい。苦しい。

彼女から来た最後のメールには、訪問のお礼と「あみが幸せで安心した」、そして文末に「アディオス!」と書かれていた。手を振る絵文字付き。

おかしいと思ったのに。
アディオスってなんだよ。今生の別れ的なニュアンスじゃん。
なに言ってんの。
おかしいと思ったのに。
おかしいと思ったのに、わたしは電話もせずに、普通のメールを返した。
また遊ぼうね、って能天気に。

ああ、正解はこの瞬間なのかもしれない。
この瞬間に、違和感をそのままにせずに、きちんと問い詰めてさえいれば。

わたしはもう小説を書かない。
つい最近まで、死を扱った小説を書いていたのだ。
でも、わかってしまった。
そんなもん嘘っぱちだ。
こんなに悲しいことを、こんなにつらくて苦しいことを、言葉にするなんてわたしには到底できない。
苦しい苦しい苦しいと阿呆みたいに繰り返すしかできないんだから。
いま書いているのは文章なんかじゃない。
声を出すわけにはいかないから、ただ文字を垂れ流してるだけだ。
でもそうしないことには、壊れてしまうのだ。
もう小説なんか書けない。

昨夜は眠れなかった。
目を覚ましては、泣き叫んで、頭をかきむしって、もだえていた。
抱きしめてくれようとする夫の腕を振り切って、うーうーと意味のない音を吐きながら、泣き続けた。
ずっとそんなことを繰り返しているうちに、夜が明けた。
障子越しに空が明るむのを見て、心の底から絶望した。
わたしは、あとどれくらいこんな朝を迎えなければならないのだろう。

わたしこそ、死にたい。
こんな苦しい思いをするくらいなら、死んだ方がましだ。
でも、わたしはぜったいに死なない。
こんな苦しい思いを、夫には、友人には、家族には、ぜったいにさせない。
ぜったいに。

彼女と結婚を間近に控えていたフランス人の恋人が昨日つぶやいた。
「彼女は僕のすべてだった。これから、どうしたらいいか、わからない」

どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
ほんとにねえどうしたら。

揺らぎ続ける

 相変わらず、日々はどんどんと進んでいる。
 置いてきぼりにならないように、せっせと歯を磨いたり、自転車を漕いだり、DVDを見たりして過ごしている。
 そうしなければ、というより、そうするほかはないから。
 とりあえず経済を回そうと、毎日仕事で物を売って、その後呑みに行っています。

 最近観たDVDは、「楢山節考」と「リトルミスサンシャイン」と「ミルク」の三作。
 一番印象に残ったのは、深沢七郎作の小説が原作の「楢山節考」だった。姨捨山伝説をベースに、信州の寒村に住む人々を描いた作品である。

 よくもまあ、というのが一番大きな感想。
 よくもまあ、こんなに人間の価値観や生活様式や風習や、なにもかもが、時代によって変化するものだと、驚きを通り越して、ただ圧倒された。
 自分がいままで当然として受け入れてきたもの、というか当然すぎてそれを意識すらしてこなかったものが、ぐらぐらと崩れてゆくのがわかった。
 出てきたシーンの例を挙げてみると、
 年寄りがいつまでも元気なのは恥ずかしいと、老婆が自分の前歯を石に叩きつける。数日前に夫を亡くした女が別の男の後妻となり、当たり前のようにそれを受け入れる。(新しい夫との初夜に「前のより良いわあ」とのたまうw)作物を盗んだ隣人を、村中の男が集まって、家族もろとも生き埋めにする。流産した子どもを近くの畑に捨て置く。
 などなど。どれもこれも、現代の感覚では到底考えられないことだ。
 特に「生」と「死」の捉え方が、今とは全く異なっていることに吃驚する。ひとつひとつのディテールに毒されて、メインとも言えるラストの「姥捨て」が、いつのまにか自然なものにすら思えたほどだ。普段、卑小ながら自分自身が有しているつもりだった持論や価値観が、実は知らず知らずのうちに「時代」というものに洗脳された結果なのかもしれないと、身震いがした。
 この世の中には「正しいこと」などなにひとつとしてない、あるのはその時代や場所のなかで、たまたま作られる「空気」だけだ。その空気に逆らわないよう、あるいはあえて逆らうことで、人間は右往左往しているのだ。
 そんな当然のことを実感した気がした。
 興味深い映画だった。原作の小説も読んでみよう。

 なーんてことを思っていたら、現代にもそのような考えを持ち続けている人物もいるようだ。奇しくも、映画を見た翌日に以下のサイトを見つけて苦笑した。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ishihara/data/20011106josei.htm

 基本的に、私は他人の考え方に干渉しない人間だけど、もろもろの発言を見るにつけ、彼のことは政治家としてはもちろん、なにより小説家として認めるわけにはいかないと思っている。物を創る者にとって、想像力の欠如や視野の狭さは致命的ではなかろうか。

 前回の日記に書いた、被災地の方が無事だったとのこと。本当に、本当によかった。私は、まったくまったくなにもできなかったけれど、逐次情報を取捨選択して公開してくださっていた方のブログや掲示板のおかげで、状況を知ることができてよかった。ありがとうございます。
 もちろんこれからの方がはるかに大変だとは思う。けれど、生きていて、本当によかった。

 まったく話を変えますと、近々結婚することになりました。一年前はまさか「彼」とこんな風になるとは思いもよらなかった。けれど、いまは、こうなることこそ自然だと確信を持って言える。

 人間の考えや感情や人生は、一年かそこらで、いや一分の間にだって大きく変動し得る。私は、そんなあやふやな揺らぎを、見つめながら、記しながら、いつまでも生きていきたい。

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